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岡豊城跡

 岡豊(おこう)城は長い間、長宗我部氏の居城でした。13世紀〜14世紀ごろに築城され、16世紀の初期に一度落城し、国親(くにちか)により再興されました。その子の元親(もとちか)が土佐統一・四国制覇の後、手狭になり、大高坂城、浦戸城に移転するまで使われました。長宗我部氏系図

 遺構の発掘調査から、中世の「土の城」から近世の「石の城」への移行期に当たる織豊系の城郭とわかり、国内でも有数の貴重な史跡として国指定の史跡とされました。この岡豊城がそれだけ貴重な移行期の史跡なら、同時期に元親が築城(改築)した浦戸城もきっと岡豊城以上に特徴のある貴重な史跡であったでしょう。

 ※平成20年7月28日、岡豊城跡の一部が国指定の史跡になりました。


2002年3月1日 岡豊城跡を訪れました。その後何回かここにある資料館を訪れました。


県道318号線から「高知県立歴史民俗資料館」の看板に従って入り、坂道を上ります。


1991年開館の高知県立歴史民俗資料館です。
写真右手に見える森が城跡の岡豊山歴史公園です。
この建物には高知県内の古代からの歴史民俗資料が展示されています。
国宝である古今和歌集巻第廿(高野切本)があります。
特に長宗我部氏の城跡にあるので長宗我部氏関係の展示は充実しています。


奥の駐車場脇の建物入口を入ると飲み物の自動販売機があります。
螺旋階段を上に出ると正面には歴史民俗資料館の入り口が見えます。
さらに右手には城跡遺跡に向かう階段があります。
この写真は城跡遺跡に向かう階段です。
また、駐車場の右手奥にはトイレがあり、そこからも登ることができます。


ニノ段から東を臨む。土佐の米蔵、香長平野が一望できます。
この画像より少し右方には、元親の右腕となって働いた吉田氏の吉田城跡があります。


ニノ段には四阿があり、日陰で休憩できます。


2007年6月20日再訪しました。ニノ段西端部にある堀切です。
敵がニノ段から攻め難いように尾根を切り、さらに詰下段側には土塁が積みあげてあります。


ニノ段から詰下段への通路直近に井戸が掘られていました。
深さは4.7mで、岩盤を3.6m彫り込んであり、湧き水はなく、雨水を溜める溜井だろうということです。


ニノ段から詰への間にある詰め下段です。
詰の出入口を守るための小曲輪らしい礎石があります。


詰の西端に建っていた地図です。


詰には「高知県史跡 岡豊城跡」の石碑が立っています。


詰は城の中心部です。
石敷と礎石が発見され、岡豊城の中心となる建物があったことがわかっているそうです。


詰めの北方には城内社があります。


詰をさらに西方に進むと三ノ段に下ります。低いですが石垣がありました。


ここには土塁と石垣があり、小曲輪の礎石があります。
この時代の石垣は単に石積みと言ってもいいようなものでした。
現在の高知城にも同様の元親の石垣が発掘されていますが、
浦戸城の石垣の技術は少し進んで、裏ごめ石が使われていたそうです。


これは土を盛り上げただけの土塁です。
さらに西方に下ると四ノ段があり、堀切の外には伝厩跡曲輪があります。


城跡から南方を望む。
手前の川は国分川。右手奥の山に向かっている2本の道路は東道路です。

岡豊城跡は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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