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新之丞生誕の地


 2005.9.17土佐の隣の宇和島を取材に行ったおり、偶然にも見つけた新之丞生誕の地です。


 檮原町から長いトンネルをくぐり、県境を越え日吉に入り、
快調に車を飛ばしていると、新之丞という名前が横目に入りました。
いの町の成山の新之丞かなと車を止め、歩いて戻ってみると、
看板だけでなく、記念碑や石仏がありました。


 山伏の格好をして修行していたのでしょうか。四国山中をどこまで行っていたのでしょうね。


新之丞記念碑
土佐和紙の祖 新之丞のこと

 この日向谷は土佐和紙の祖と仰がれる新之丞の出身地です。
 四国行脚の途中土佐で病に倒れた新之丞は、長宗我部元親の妹養甫尼と、甥の安芸三郎左衛門家友に助けられた。
 律儀な(受けた恩を特にありがたく思う)新之丞は病気の養生をし乍ら、お礼に修善寺紙の漉き方を教え、さらに染色法に詳しかった養甫尼と日夜研究を続け、ついに土佐紙の起源となる珍しい七色紙の製造に成功した。技術伝授を終えた新之丞はすっかり体調も回復し、名残を惜しみながらなつかしの故郷日向谷への帰途についたが、坂の峠(高知県伊野町)まで見送ってきた家友に突然背後から斬り殺された。時に1596年旧暦3月5日。
七色紙の秘法が外に出るのを恐れ、それを守るためとは言えまことに哀れな最期であった。(参考文献 古文書・郷土誌による)

 坂の峠にはその菩提を弔うために1815年に石仏が、又1916年には「紙業界之恩人新之丞君碑」が建てられねんごろに祀られている。今なお、その悲話も伝えられている。

1996年1月(平成8年1月)
  新之丞翁四百年供養のため建立


 ふと、ふり返ると対岸の斜面の樹木がきれいに刈り取られ、その上に旅人を接待するお茶堂らしき屋根がのぞいていました。
 昔はそこを通る細い踏み分け道を土佐から伊予へ、あるいはその逆に旅人が歩いていたのでしょうね。