2013年3月6日(水)
舟入れ川沿いの大津の電車通りに、こんな案内看板がありました。
菅原道真の老僕、松本春彦を祭る、と書かれていました。
菅原高視邸跡はここ。
菅原道真といえば潮江天満宮に祭られ天神様として親しまれています。
また、この近くには堺事件の大津地区の二烈士の墓がありました。
電車軌道の直ぐ近くにこの鳥居が立っていました。見れば、山の中に登っていく道がありました。
数十m歩くと小さな神社がありました。
扁額を見ると確かに白太夫神社と彫られています。
さらに数十m歩くと小さなお墓がありました。
年老いた白太夫は、九州の太宰府で亡くなった菅原道真の遺品を長男の菅原高視に渡すべく
はるばる持って来たのですが、高視のいるところまであと僅かというここまで来て亡くなりました。
直ぐ側には小さな祠がありました。ここに雲門寺があった事を示しているのでしょうか。
近くに大戦時の忠霊塔がありました。そこには大津地区の堺事件の二烈士の墓がありました。
約百名のプレートがある、昭和28年に旧大津村が建てた忠魂碑です。
その広場の片隅に堺事件二烈士の墓がありました。
側に立てられていた説明板です。
以下、池上弥三吉、森本茂吉二人の墓標の4面です。