土佐の歴史散歩高知市南部>川島家墓所

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川島家墓所


2013年1月7日(月) 浦戸大橋北詰信号の西南にある川島家墓所を訪問しました。


砂地に沢山の川島姓の墓石が並んでいましたが、墓石の周囲はきれいに管理されています。
今日、訪れたのは江戸時代の人々のことが知りたくて訪れたのでした。


初代川島源兵衛夫婦の墓です。夫婦共に享保18年(1733)没。
川島家は下田屋の屋号で、御船倉御用商人として回漕業を営み木材や鉄材を販売していました。
丸に剣酢漿草の家紋の屋根付きの立派な墓石です。


二代目市兵衛夫婦の墓です。市兵衛は安永9年(1780)没、妻は長生きして87才で文化6年(1809)没


三代目貞左衛門夫婦の墓です。貞左衛門は64才で文化11年没、妻は文政6年没。


四代目武左衛門夫婦の墓です。武左衛門は36才の若さで文化10年(1813)没、妻も47才で天保6年没。
岩崎義郎氏の作成系譜によると妻は今井秀平(秀誠)の娘です。
武左衛門の墓の側面には句が彫られていましたが彫りが浅くて読めません。「土佐の墓」からの引用です。
蚊やりして 香炉に似たり かがり船  青茂


五代目貞次良の墓です。武左衛門が早くに亡くなったため、
家督を継ぎましたが、貞次良も33才で文政9年(1826)に没。
弘化4年(1848)、北代家から嫁いでいた妻の伊与は坂本八平に嫁ぎました。
実母幸が亡くなり母のいない龍馬を思った周囲の人々が、夫も、子の
弥太郎も亡くした伊与に目をつけたのも自然なことだったのでしょう。


中央が木岡氏に養子に出ていた弥太郎の墓です。天保7年(1837)わずか17才で没。
ちなみに龍馬は天保6年生まれです。


六代目猪三郎春麿夫婦の墓です。猪三郎は45才で安永元年(1854)没、妻は40才で安政6年に没。
猪三郎も盛んに家業を続け、傍ら国学和歌を学んでいました。そんな猪三郎に、少時から乙女に連れ
られて遊びに来ていた龍馬はたいそう可愛がられたそうです。


七代目粛、繁夫婦の墓です。粛は明治24年(1891)に49才で没。妻の繁は長命で昭和14年に93才で没。


八代目^之助夫婦の墓です。岩崎氏によると、妻敏子は浜口氏の娘で、寺田寅彦の妻寛子の姉だそうです。

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