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藤崎朋之の墓


2013年1月3日


北端町の旭駅東側のJR踏切から北に入った近くに墓地がありました。墓石をよく見ると、全部が
藤崎姓なので、どうやら一族の墓所ということでしょう。


その奥の方に比較的新しい藤崎姓の墓石が並んでいました。
藤崎朋之 大正11年(1922) 63才で没。妻 昭和24年83才で没。


高知には日清戦争の頃から少壮実業家による一日会が結成され、これが自由党内の革新派と
合流して肝胆会を組織した。市部を本拠としたので中央派と呼ばれ、これに対して郡部派と呼ばれ
たのは農村を背景とするもので有隣会と称し、自由党内におのずから2派が対立した。(宿毛市史)

朋之は上京して法律を学び、帰高後弁護士を開業、高知市青年の政治団体肝胆会を組織しその
首領に推され、自由民権運動に加わる。
第2回選挙の大干渉の時、2区の林有造、片岡健吉が落選になり、大阪高裁で当選決定になるまで
その弁護を勤めた。のち、土陽新聞社長、国会議員、県会議長を経て一圓正興のあと高知市長と
なった。また、県教育会長も勤めた。(土佐の墓)

まだまだ維新の気風がおさまらない時代、藩閥政治に抵抗した政党政治が芽を出したばかりの
時代のことです。明治の熱い血が感じられます。

藤崎朋之の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

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