2003年3月2日 宿毛小学校を訪れました。
正面の横に長い建物が宿毛小学校です。
<「野中兼山一族幽閉之地」碑>
校庭の南西端にありました。
執政役失脚、蟄居、没後の「野中兼山一族幽閉之地」碑です。
一族とは
長男 清七 (16才)
二男 欽六 (15才)
五男 希四郎(8才)
六男 貞四郎(2才)
二女 米 (18才)
三女 寛 (7才)
四女 婉 (4才)
五女 将 (3才)
この宿毛で、男子が全員亡くなるまで40年間という長い間幽閉されたのです。
<日新館跡>
宿毛小学校内でも一番東にある日新館跡です。向かいの広い運動場は隣の宿毛中学校です。
慶応3年(1867年)に学問所である文館をさらにここに移動し、日新館としました。
明治7年(1874年)には宿毛小学校と改称しました。
<「岩村英俊邸跡」碑>
校庭の南西部にある背の高い石碑は岩村英俊(礫水)邸跡を示しています。
岩村英俊は岩村通俊、林有造、岩村高俊の父です。
岩村家は平教盛を遠祖と伝えられ、安芸国虎に仕えた後に長宗我部元親に仕えました。
山内一豊が入国してからは一豊の家老安東(伊賀)家に仕えました。
礫水は槍の名人として名高く、また和漢の学問にも秀でていました。
幕末には時の流れをよくとらえ、尊王攘夷の立場をとり人材を育成しました。