2013年4月4日(木)
この辺りは何度も通っているのですが、今まで気付かずにいました。

墓所入り口から見た吉田家の墓所全景です。

反対側から見た墓所全景です。(この手前に川野姉妹の墓あり)
現在も管理する後裔の方がいて、大変手入れが行き届いている墓所だと感じました。

黒い石碑の表は長宗我部氏の軍記物語である、吉田孝世著「土佐物語」の奥書が刻まれています。

石碑の裏側には吉田家墓誌」として、この墓所にある人々の系譜がまとめられています。
上の墓誌に基づき略系図を作りました。
(吉田孫助俊政)-+-(市左衛門政重)---宇右衛門正次
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+-(市右衛門正義)-+-(猪左衛門正幸)--・・・・・・(吉田東洋の系)
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+-宇右衛門正次-+-源八郎克次---+-新作克栄
(養子)| ~~~~~~~~~~ | (長男 23歳で歿)
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| +-孫助正武
| (養子)
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+-ハ右衛門孝世---又左衛門孝経---(次郎左衛門通和)---勝助行倫-+-楠蔵正準---(清蔵孝継)
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+-多喜馬孝儔

中列に吉田孝世と妻(井上氏)が並んでいました。

「吉田ハ右衛門孝世墓」正徳三葵巳年(1713)十二月二十五日六十九歳で歿。
忠豊の時寛文五年(1665)三人扶持で記録方。
兄源八郎克次の志を継ぎ、長宗我部元親などの事績を「土佐物語」にまとめました。

土佐の歴史資料を集め、まとめることを考えていた、兄の源八郎克次とその妻(淡輪氏)です。
妻の父である淡輪四郎兵衛重信は野中兼山のもとで働いていた総浦奉行です。

克次・孝世の父、宇右衛門正次と母の倶利です。
宇右衛門正次は、馬廻、市左衛門政重の三男でした。

帰りに出会った猫ちゃんです。
吉田孝世の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。