(1838〜1897)
板垣退助や岩崎弥太郎らとは幼友達でした。
吉田東洋に学び、東洋亡き後を受け継ぎ土佐藩の産業振興に努めました。そのため科学教育振興の「開成館」をつくり、その長崎出張所として「土佐商会」を置き、岩崎弥太郎を主任にしました。
坂本龍馬に接近し、「船中八策」をもとに山内容堂公に大政奉還建白を勧めました。
明治になってからは大阪府知事を経て参議に就任しました。
2003年1月25日 市内の史跡を巡りました。
大橋通電停を南に進み、信号2つ目と3つ目の間に高知カトリック教会及び聖泉幼稚園があり、その門横にあります。
子どもの頃、隣町の板垣退助とはよく遊んだそうです。
後藤象二郎誕生地跡は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。