2013年1月30日(水) 中村の史跡を訪れました。
後川沿いの岩田という所にあるJAのガソリンスタンドです。山内忠直の墓の案内板を見つけました。
すぐ横の通路から石段を上がります。県下最大の墓碑があると聞いてやってきたのです。
所々に灯籠が立つ林の中を距離にして100mぐらい歩きます。先ほどのGSの所には大用寺
というお寺があってここはその寺の墓地だそうです。
やがて辿り着いた広場には、2基の灯籠の後に五輪塔が見えます。
高さ2.5mぐらいのきれいな五輪塔がありました。
案内を見ると山内豊定の墓だそうです。延宝五年(1677)十月十三日歿。
豊定は忠直の子で通称右近太夫。父の後を継ぎ中村支藩主となりました。
振り返って左手を見ると、なんと大きい五輪塔でしょう。高さ4.5mだそうです。やはり県下一です。
正面から見た忠直の墓です。
寛文七年(1667)55才で歿。
首をかしげたように少し傾いていますが、空風火水地の文字が
彫られた、四国では一番大きい五輪塔です。
忠直は二代土佐藩主忠義の次男で中村支藩初代で通称修理太夫。
父忠義が忠豊に家督を譲り隠居したとき、3万石を分与されて
断絶していた中村支藩を再興しました。地域では「三万石様」と呼ばれ、
「土佐の墓」によると寛大で慈愛心に富み善政を行ったそうです。
筆山の一豊や忠義などの代々の藩主の墓よりも大規模です。
母の阿(くま)姫は徳川ですからその威光でしょうか。
山内忠直の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。