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37番札所 岩本寺(いわもとじ)


2007年2月10日(土) 四国霊場八十八カ所の第三十七番札所、藤井山五智院岩本寺を訪れました。
真言宗智山派、本尊は不動明王、聖観世音菩薩、阿弥陀如来、地蔵菩薩の五仏です。


 国道56号線を土佐市まで走り、そこで自動車道に上がり須崎まで。
 また国道56号線にもどり、久礼坂を上り七子峠を越えると間もなく窪川です。
 岩本寺は窪川の市街地にあります。しかし、窪川町も過疎化、高齢化が進み、
お寺の近くの市街地を歩いてもほとんど人に遇うことがありませんでした。


交差点近くの駐車場に車を置き、前を見ると短い通りの向こうにすぐ山門が見えます。
両側に幟旗がずらっと立ち、36番からの遠距離をたどり着いた
お遍路さんを歓迎する気持ちが表れているなあと感じました。

 
山門の仁王様です。いつの時代のものか分かりませんが比較的状態がいいですね。


山門をくぐると左手に手水舎、その向こう側に納経所がありました。


右を向けば鐘楼がありますが、柵をおいてあり立ち入り禁止のようです。


納経所の続きに宿坊があり、遍路グッズの売店がありました。
ここはユースホステルも兼ねているようです。


鐘楼の次に本堂がありました。石段を上がりお参りします。
藤井山五智院岩本寺は平安初期弘法大師空海和尚が天皇の勅願を仰ぎ五社大明神境内に
四国霊場のひとつとして藤井山五徳智院福円満寺という真言宗の寺院を建立し、神仏混淆の
社寺としたことが始まりといわれています。
一時衰退したが一条氏、山内氏などが崇拝し存続、明治の廃仏毀釈で廃寺となるが、
同22年に現在地に再興され、現在の本堂は昭和53年に落慶となっています。


ここは大変明るい感じがする、と思って見上げると、


 天井にはずらりと彩色された絵がはめ込まれていました。
 一枚一枚は上手な絵ではありませんが、きっと大勢の人がそれぞれの祈願を込めて
描いた物でしょう。これだけあると壮観です。


本堂の全景です。


本堂の前を行き詰めると小祠に並んで石塔がありました。
自害したらしい西原城主の妻、お満の供養塔でした。


大師堂は山門を入ってすぐの右奥にありました。
右は「歓喜自在天」を祭るお堂ですが、どういうものでしょう?
後刻、インターネットで調べてみました。・・・>歓喜天


 宿坊の前から見た境内のようすです。


大師堂の前から見た境内の様子です。

ぼつぼつお遍路さんが見えますが、その様子を窺っていると、どなたも熱心に読経をし、
お参りをするのですが、ほとんどの方は済ませると足早に立ち去っていきます。
私のように境内の中をあちこち見て回る人はあまり見かけませんね。


トイレをお借りした「お遍路さんの駅、遊芸庵」という土産物屋さんです。

これで高知県内の札所は足摺の金剛福寺と宿毛の延光寺を残すのみとなりました。

詳細は岩本寺(Wikipedia)

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