2010年3月14日 野中兼山遺構の三又というものを探しに野市町に来ました。
香美市土佐山田町から物部川を渡り、香南市野市町に入りました。
青少年センターを左に見ながら変形交差点で県道から右に分かれて進みます。
西上野公民館に車を置かせてもらいました。ここは道路が少し高くなり2本の水路を跨いでいます。
この奥に「みつまた」があります。
土手の上の林の中の小径を落ち葉を踏み物部川のある方に進みます。
小径のある土手の両側に水路が流れています。
小橋を渡って進み、来た方をふり返りました。左側の土手を通って来ました。
左手から流れてきた井筋は、ここで三本の水路に分かれて流れて行きます。
なるほど、これが「三又」なのかと一人で納得しました。
さらに井筋を少し上流に移動するともうひとつ大きな水路がありました。
先ほどの真ん中の水路は小さくて、数に入ってないみたいで、この
大きい方から三つで「三又」かな?。
この「三又」は野市町の史跡指定になっていますね。
人手で築いたことがわかる土手の石垣です。
この上をメインの水路が通っています。物部川の堤防だと思っていたのが水路でした。
これは江戸時代のはじめ、二代藩主山内忠義の時の家老野中兼山が、
潅漑用水がなくそれまでは荒野であった広大な野市の平野を、耕作地にし、
土佐藩の経済を向上させようと物部川から水を引く大工事を行ったのです。
もう少し上流に移動すると、現代の「みつまた」施設がありました。
コンクリート造りでまったく絵になりません。
元に戻り道路を横切り、流れの下の方に歩いてみました。
堤は低く細くなり、水面に手が届きそうです。
野市町西野で、右の流れはさらにふたつに分かれています。
こうして次第に血管のように分かれ、広大な野市の田畑を潤しているのです。