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三嶋神社&神幸橋


2010年4月25日 梼原町で歴史資料を見た後、少し歩きました。


中平龍之介邸跡を過ぎ、小さな谷を廻ると吉祥寺の大屋根が見えてきました。


やがて道路を挟んで向こうに三嶋神社の鳥居のある所に出ました。

説明板が右側にありました。
「津野山郷の開祖、津野経高は、梼の木の多いこの地を梼原と名付け、延喜19年(919)竹の藪より移り
居城を築き梼原宮首に伊豆より三嶋大明神を勧請したといわれている。また、藤原純友の乱のとき伊予
河野氏に協力して純友征伐に向かい、伊予三嶋大明神に詣で、純友の乱平定後帰国したとき伊予三嶋
大明神も勧請して祀ったと伝えられている。慶応4年3月(1868)三嶋大明神を三嶋神社と改称、明治40年
(1907)、明治44年(1911)に梼原地区無格社21社が合祀された。現在の本殿は享和3年(1803)、拝殿は
明治23年(1890)に再建されている。拝殿の彫刻物は山口県の中本喜作の作である。」


そこは川に架かった橋でした。神幸橋と呼ばれているようです。屋根があって趣がありますが、新しいものです。


平成14年3月に竣工した橋は木材を使い、鉄のジョイントで組み立ててありました。


橋を渡り終わると境内に入る階段があり、左右の灯籠と狛犬が迎えてくれました。


拝殿の入り口の彫刻は素晴らしく、左右に龍が、中央では武者が狼を退治している姿がありました。
山口県の中本喜作の作とされています。


社殿の全景です。


境内の隅にあった桂月大町芳衛書による「鎮座千年碑」です。


ご神木のような樹齢400年といわれる朝鮮松(ハリモミ)です。
豊臣秀吉が諸国大名に朝鮮出兵を命じ、文禄元年(1592)津野親忠と
中平左京之亮光義は長宗我部軍に加わって従軍し、帰還のときに
持ち帰って植えたものと伝えられているそうです。


三嶋神社から歴史民俗資料館へもどるメインストリートには
神楽に登場する人物のミニチュアがたくさん立っています。
これは「猿田彦」。


「鬼神退治」                    「豊穣舞」


「鬼神退治」                                  「豊穣舞」


「山探し」                      「鯛つり」


大蛮」                        「天の岩戸」


「天の岩戸」                                  「大蛮」


「鯛つり」


きれいに整えられたメインストリートには途中、武市半平太の
妻である富さんが一時住んでいた屋敷跡があります。

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