土佐の歴史散歩梼原町>旧掛橋和泉邸

旧掛橋和泉邸・吉村虎太郎庄屋屋敷跡


2002年5月18日 梼原町を訪れました。ゆすはら座の前を通って上にあがると、茅葺き屋根の家がありました。


茅葺き屋根の左側の建物は梼原高校です。


「明治維新の志士掛橋和泉邸で、代々神職を勤める子孫が現住している。
茅屋根の母屋は幕末の建築で(中略)間取りは神殿前客間10畳、玄関の間6畳、中の間・奥の間
各8畳、茶の間10畳(現在は6畳と4畳半に分割)の6部屋からなり、奥の間は天井が低く、危機の
際を考慮して階上に「姫隠しの間」がある。幕末には遠近の同志がよく立ち寄り、時局を談じたと
伝えられている。」(説明板より)


これはわらで作った馬だろうか。願掛けに使ったり、田んぼの水への
感謝だったりするという話があるが、果たしてここではどうなんだろう?


軒の妻板に「水」の文字が。火事除けか?

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