土佐の歴史散歩香美市>庚申堂

庚申堂(こうしんどう)


 2004年10月2日、高知工科大学講堂で土佐山田町合併50周年記念式典に出席した帰り道に秦山町に立ち寄りました。


土佐山田町に昔、谷秦山の住んだ秦山町というところがあります。
その町内に「庚申堂」があります。

 天文年間(1543頃)この付近では山田氏と長宗我部氏のいくさがあり、長宗我部氏が勝利となり山田氏は滅びました。その戦死者の遺骨が原野に散乱し、その霊は夜な夜な鬼火となって東西に飛び交い凄惨な荒野として恐れられていました。
 時は流れ、四国統一をなした長宗我部氏も秀吉軍に破れ、江戸時代となりました。山内氏が土佐に配属され野中兼山が鏡野開墾を始めました。しかし、人夫たちにけが人や病人が続出、工事が難航しました。このため、藩主忠義は山田野地の名のある修験者に命じ、摂津国天王寺の青面金剛像を勧請し土地を鎮めたので、やっと兼山の事業が完成したということです。
 忠義公は深くその功徳を思い、堂地を与えて山内家の家紋を堂の前面に彫刻することを許しました。その後創設時のお堂は老朽化し弘化3年(1846)に再建、120年以上経ち再び老朽化したので地元有志の浄財で昭和46年(1971)復元再建されました。

 
 お堂の正面と山内家の家紋


 庭には植え込みやベンチも置いてあり、地元の住民が憩う場所でもあるようです。
 その中に「庚申堂の歌」という楽譜入りの立派な碑が建てられていました。


敷地の左方には神様がとまって休むと言われるオガタマの大木があり、
昔から御神木として大切にされてきたそうです。

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