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義堂・絶海像、義堂誕生地碑、絶海誕生地碑


2011年5月19日 義堂・絶海の郷を訪れました。


津野町船戸から北に入り、不入山東麓の峠道に向かいます。
都という地名やせいらんの里とか、堂海森林公園の看板が見えます。


遠くから道路より高いところに立つ二人の姿が見えました。


広場に上がり、正面に出ました。まるで生きているような立ち姿です。


像の足下には達筆の文を浮き彫りにした説明版がありました。

「義堂絶海像建立之記」
「義堂は正中2年(1325)に、絶海は建武3年(1336)共に不入山麓に生まれました。
この両僧は五山文学の双璧とうたわれています。
五山文学というのは中世我が国に伝来した禅宗の僧侶たちの手になる漢詩文文学の文化で
ありますが、その特色は朱子学の紹介とこれを基とした政治理念の指導であります。
義堂は文で有名なばかりでなく管領足利基氏父子上杉氏さらには将軍足利義満の政治
顧問として活躍し、絶海は詩文にすぐれ後年将軍義満の政治顧問として活躍しました。
東津野村ではこの両僧ゆかりの地に両僧を讃え、真に日本をおこす根元とする
精神を培う道場、自分を愛し山を育てる心を養う公園をつくろうと森林センターを
誘致するなど整備に努めてまいりました。
このたびこの堂海公園の魂ともいうべき高僧義堂老僧絶海の銅像建立が完成しました。
ご協力を賜りました各位に深甚の謝意を表します。
昭和50年6月
義堂絶海銅像建設期成同盟会
(会長以下委員名簿が続く)」


義堂周信(1325〜1388)、絶海中津(1336〜1401)


共に夢窓国師に師事しています。


堂海公園から少し下った中村という地域が義堂誕生地です。


船戸の大イチョウの下にある絶海誕生地碑です。

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