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多氣・坂本神社


2013年2月7日(木) 延喜式内社 南海道土佐二十一坐のひとつです。


奈半利から北川村の方に伸びた自動車道路の東側にこんな場所がありました。


鳥居に近付いてみると、目的の多氣・坂本神社です。


大きい自然石の石碑は野村茂久馬の頌徳碑でした。


しかし、ここには日清日露戦争の碑と小さな祠しかありません。
地元の方が丁度近くで作業をしていたので社殿はどこか訪ねると、道路を挟んだ向こう側にあるとのこと。


なるほど、曲がり角を曲がると立派な神橋が見えて来ました。


鳥居の扁額は延喜式神名帳に記載されていることを標記しています。


境内はきれいに掃除され、しっかりした世話人の存在を感じます。


石灯籠の並びの中に手水舎が見えました。


この水盤は凄い彫刻が施されています。


後ろに回ると、藤村製糸株式会社と藤村捕鯨株式会社が奉納していることが分かりました。


脇社の壹伎神社です。
「御祭神壹伎直真根子命 竹内宿禰(多氣様)の冤罪を晴らさんと身代わりとなりて自刃せる赤誠の仁なり」
と書かれていて関連があります。


多氣・坂本神社の社殿です。
神橋の脇にあった説明板には、
「多氣神社の御祭神は竹内宿禰命、坂本神社の御祭神は葛城襲津彦命である。
共に延喜式内社であり両者は宝永(1704-10)の頃に合祀されたと伝えられる。
延喜式内社とは、醍醐天皇の御世に撰上された延喜式神名帳に登載される古社のことである。
神輿橋は境内入り口にあり、大正5年に藤村捕鯨株式会社により奉納された石製の橋である。
また、参道右側には手水舎があり亀の形をした石製の手水鉢がある。これは大正9年(藤村製糸の創業時)
に藤村製糸株式会社および藤村捕鯨株式会社の両者が奉納したものである。」
とありました。


改めて延喜式内社を示す立派な標柱です。


拝殿前の向拝の神額です。


横に回って見ましたが、本殿の造作は囲われているので見えませんでした。


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