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伝統的建物を巡る

 奈半利は古くから野根山街道の起点として、また紀貫之の「土佐日記」に那波の泊として登場するように陸・海の交通の重要地点でした。
 奈良時代にはコゴロク寺(廃寺)を中心に郷が栄え、埋蔵物が多数出土しています。
 山内一豊が土佐入国の際にも、野根山街道を経て奈半利の正覚寺で宿泊し、江戸時代には野根山街道は土佐藩主の参勤交代に利用されます。
 また上流の魚梁瀬(やなせ)の木材を奈半利川から搬出し、集散地となっていました。
 奈半利貯木場と魚梁瀬森林鉄道奈半利川線が完成すると、樟脳・木材などの林産物や、捕鯨・製糸業などの産業が起こり、更なる発展をとげます。
 特に明治以降に実業家を多数輩出し、高知県の近代化にも貢献しました。
 今ある奈半利町の伝統的建造物の多くは、この時期に建てられたものです。(奈半利浦の会HPから)


2012年3月25日(日) 奈半利浦の会HPを参考に奈半利を訪ねました。


奈半利の町はだいたい2km四方ぐらいで、徒歩で探訪するにはちょうどいい広さです。
奈半利駅に車を置いてあちこち歩きました。西の端には橋があり、その直近に2本の碑があります。
土佐日記の那波泊の碑と、維新志士贈正五位能勢達太郎成章生誕地の碑です。
ここを出発点とし、ほんの僅かですが旧国道と野根街道を歩きます。
この交差点を斜めに入る道が北川村への旧国道です。


最初の交差点に町の入口を示す常夜灯がありました。


「なはり物語館」の看板がかけられていますが、日曜日だというのに固く雨戸が閉まっています。
お遍路さん、まぁ、ゆっくりしていきや!の看板もありますが、これではお遍路さんも気軽に立ち
寄ることができませんね。残念。


次の交差点を渡るとここから野根街道です。
家々の間を小川が流れていました。


間もなく左にお地蔵さんがお供えをもらって座っていました。


ここは「高札場」跡だそうです。藩からの御触書などが高い位置に掲示されていた場所です。


ここで野根街道は左に曲がります。


新築のようなのに水切り瓦をつけた倉庫のような造りの住宅がありました。


これは正真正銘の蔵です。水切り瓦にしとみ板張りです。


やがて住宅がまばらになってきました。レンゲが咲いています。


今なら郵便局か。飛脚や馬などが待機した「送り番所」跡です。
野根山街道約35kmを3時間で笹飛脚が駆け抜けたそうです。


すっかり廻りは農村地帯になりました。
ここでもと来た方とは少し方角を変えて町に戻ります。


北の方に藤村製糸工場と思われる工場が見えます。ここが今日の目的のひとつです。


向こうに常夜灯があるのを見つけました。木蓮も花盛りなようです。


こちらの常夜灯はほぼ完全な形のようです。


藤村製糸工場です。今日は日曜日なので見学はできません。
土日以外の10:00〜12:00、13:00〜16:00には案内してもらえるようです。


藤村製糸は、大正6年創業の四国で唯一の製糸会社でしたが、現在はブラジルで操業しているそうです。
後日、藤村製糸を再び訪れました。


おもしろいものがあります。向こうに見える木が弱い子を包む強い子、二重柿だそうです。


そしてここが大正7年に建築され、かつて土佐の交通王
野村茂久馬が居住していた、今は森家住宅です。


次に、明治初期に建築され石ぐろの塀をめぐらした改田家住宅です。


ここは特に丸石をそのまま使った石ぐろの塀が美しいです。


そして浜田家の煉瓦造りの倉庫。1本だけでも撮影には煩わしいのに2本も電柱が立ち、
おまけに支線も張られ、電線も行き交っています。
なんとかきれいさっぱりにならんもんでしょうか。


蔵は江戸末期の建築、主屋は明治36年の建築の浜田家住宅です。
両側にこのあたりでは珍しい「うだつ」があり、右方にはなまこ壁があります。
しかし、なんとかなりませんか、政治家のポスターや看板。


なんでもない街角の建物にも歴史のあるたたずまいが感じられます。。


これは明治23年ごろの建築の竹崎家の蔵及び主屋です。
竹崎家は明治時代に樟脳の生産に携わり巨利を得、三代目は自由民権運動から政界に入り商社などの事業を興しました。
四代目は東大を出て大蔵省に入りました。寺田寅彦とは中学、高校、大学と続く親友で、寅彦と同じく夏目漱石に習っています。


ここではゆったりと庭をながめながらお茶を飲むことができます。


竹崎家(高田屋)蔵資料館と名付け、竹崎家に伝わる資料や物品がたくさん展示されています。
特に、左壁に写真のある竹崎音吉は寺田寅彦とは同級の親友であり、やりとりした手紙や写真が展示されています。


これらの資料のうち一部は県立文学館の寅彦記念室にも寄贈し展示されているそうです。
また、寺田寅彦を熱心に研究し出版された山田一郎氏が何度もここに来て
取材していったことなど、マスターの竹崎氏にはお話しいただきました。


高野山真言宗正覚寺です。訪れたときちょうど庭の手入れをされていた奥さんとお話しできました。
参勤交代で野根山を越えて高知に帰る殿様がここに泊まられ、家来は周辺で民泊したとか、林業が
盛んな時代で馬路村から切った木を奈半利貯木場に集め、奈半利港から大阪へ積み出していたとか
いう話がはずみました。


だいぶ陽が傾いてきたので帰らねばと思い、駅への道を歩いていると、蔵の下に薬屋があります。


これは、右手の主屋を含め明治38年ごろに建てられた東山家住宅です。


奈半利駅を背景にゴリラ君がポンプ小屋の上にいました。

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