土佐の歴史散歩田野町と周辺>野村茂久馬墓所、旧邸

野村茂久馬墓所、旧邸

 野村茂久馬/明治2年(1870)〜昭和35年(1960)/は、土佐湾岸航路やバス、鉄道などの交通事業に携わり、「土佐の交通王」と呼ばれた実業家で、ライオン宰相浜口雄幸とは同級生でした。
 坂本龍馬、中岡慎太郎、板垣退助らの銅像を建てるため奔走する青年達に、乗合自動車の無料乗車券を発行するなどの支援をしたそうです。


2012年3月27日(火)


今日は能勢家の墓所を取材に奈半利町に来ました。
奈半利の町並から野根山街道が出て農地を横切り山に入ると、墓地があちこちに見え始めました。
右手の谷に入り、少し奥に歩くと立派な階段がありました。
この谷は、ものの本によると正月ヶ谷というらしいのですが、道すがら尋ねた人はだれもその名を知りませんでした。


上に上がると広い場所にずらっと墓石が並んでいました。


だれの墓だろうと近づいて見ましたが、墓標には戒名が見えます。


正面は戒名なのでだれやらわかりませんが、横に回ると・・・。


なんと健吉長男 俗名野村茂久馬と彫られています。
土佐の交通王といわれた有名な方で、高知市の丸ノ内公園には
彼の銅像が建てられています。
この後、能勢達太郎の墓所を訪ね、分からなかったので町に戻りました。


奈半利の町に帰って野村茂久馬の旧宅を訪ねました。


現在は森家住宅となっていますが、元は野村茂久馬が住んでいた家です。


1階は水道工事などの事務所になっています。2階の窓などは大正時代当時のハイカラな窓です。
ここに現在住んでいる森さんが奈半利浦の会という町の観光案内所的な役をしていたのです。
能勢達太郎家の墓所を訪ねたら、役場の方を紹介していただけました。


建物の脇に説明がありました。また、町のあちこちに探訪者のための道案内板がありました。
吉良川にもあればいいのに。


裏側に回ると、石ぐろの塀の中に通用口が煉瓦のアーチになっています。
石ぐろのトーンと赤い煉瓦、いい感じです。

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