土佐の歴史散歩宿毛市>平田太郎俊遠の墓

平田太郎俊遠の墓


2013年2月14日(木)


 平家は平田村に住む豪族で、平重盛の配下にありました。治承4年(1180)2月源頼朝が東国で
平家討伐の旗を挙げたとき、平家は介良に流されていた源希義がこれに応じて挙兵するのでは
ないかと心配し、平田太郎俊遠、蓮池権頭家綱らに命じて、寿永元年(1182)9月、夜須行家に相談
に行く途中の希義を討たせました。


夜須行家が鎌倉へ上り頼朝に伝えると、寿永3年(1184)11月20日には伊豆右衛門有綱を調査に
向かわせ、平田と蓮池の攻略であったことを確認し、文治2年(1186)9月には梶原朝景を土佐に
派遣し平田、蓮池を討ちました。


源氏勢は陳ヶ森に、平田勢は平田城に陣取って奮戦しましたが情勢悪く、俊遠は部下と共に
城から対岸に打って出て華々しく戦死したそうです。(宿毛市史による)

今でも地元の人々はこうして榊を供えて、地元の勇者を祀っています。

平田太郎俊遠の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

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