2013年2月14日(木)
くろしお鉄道の終着駅、宿毛駅です。車で移動なのですが、ちょっと買い物に立ち寄ってみました。
今日は平田に向かいます。
平田の交差点を東に通り過ぎ、自動車道の入口交差点も通り過ぎ、次の交差点で左に曲がります。
道なりに進み山奈町芳奈に入ります。道路が狭くなり不安になってきた頃、小さな橋を渡りました。
偶然に車を駐めたところにあったのがこれ、「芳奈の泊屋」でした。
「芳奈の泊り屋」には十分な説明板がありました。それによると、
「幕末から明治、大正にかけて、幡多の各地に百八十カ所もあった泊り屋も、今ではこの芳奈に
四カ所を残すだけとなった。
泊り屋は別名やぐらともいわれ、戦国時代の一村一域の頃、見張りのために建てられたやぐらが
その起源であるといわれている。そのためか、すべて集落の入口か中央の見晴らしの良い所に
建てられていた。
この泊り屋は、集落の警備や若衆の夜なべ、娯楽、研修、或いは社交の場となり、幕末以後全盛
を極めたが、明治末年頃より夜学が盛んとなって、床の低い公会堂に改築され、或いは風紀を乱
すという理由でつぎつぎとこわされていった。(つづく)
わずかに残った芳奈の泊り屋は、昔の若衆組の研究資料として、又浜田の泊り屋は、昭和三十二年
国指定の重要民俗資料となり、他の下組、靴抜、道の川の泊り屋はともに県の文化財の指定を受けて
保護されている。(つづく)
浜田の泊り屋は九尺四方、木造高床式の平屋建てで屋根は入母屋造り桟瓦葺である。明治
十四、五年頃の改築で、四隅には根の張った自然木を踏ん張らせ、下部に比して部屋は小さくし
屋根の勾配をゆるく、軒先には僅かに反りをもたせ、いかにも美しく、しかも安定した風格のある
姿で、幡多の各地にあった泊まり屋の中でも最高クラスのものである。
他三カ所の泊り屋もすべて木造高床式平屋建てで一間半に二間、下組の泊り屋は柱も自然木を
使い、屋根は切妻、杉皮葺で明治中期頃のもの、靴抜と道の川の泊り屋は柱も四角、屋根は瓦葺
で明治末と大正初期のものである。(つづく)
これらの各泊り屋の床下には若衆たちが娯楽として使用した数個ずつの力石が今も残っている。」
と、以上が充実した解説でした。ガイドがいなくても、こういう説明板があるとうれしくなる。
こちらの浜田の泊り屋の前には少し簡略化した文章の新しい説明板が建っていた。
浜田の泊り屋は国指定の重要有形民俗文化財だそうだ。
戦国時代の見張りやぐらから、地域の若衆の社会勉強の場になっていた泊り屋。今は地域の
先輩から後輩への学習・伝達の場は公民館や青年センターでしょうか。