山内一豊が土佐に入るとき、先だって土佐に入り下準備をしたのが一豊の弟で、藩主となることはありませんでした。
一豊には子が無く、以後の山内家の系譜は康豊から始まります。
康豊は子の忠義を二代目の藩主とし、忠義の弟の重昌を佐川深尾家に養子に入れたのでした。
2010年2月18日(木) 要法寺さんにお断りしてお庭を通していただきました。
庭の隅の池の奥の階段をあがります。秋にはきれいに色づく紅葉も今は枯れ枝姿です。
数十mで広場に着きます。向こうに宝篋印塔のお墓が見えました。
よく掃除されていてほとんど落ち葉もありません。
初代藩主一豊の死後、立派に努め藩を安定させた弟、康豊のお墓です。
山内康豊の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。