2009年12月26日(土)
筆山登山道を上り始めて間もなく、右に下りると山内豊之墓
ほか数基の墓がある墓所に入ります。
奥に進むと山内勇之墓があります。
明治三十年(1897)四月三日63歳
南邸初代豊著四男 東邸を嗣ぐ。
その脇に倒れ込んでいる墓が東邸初代山内豊道の墓です。
文久二年(1862)八月十二日に68歳で亡くなっています。
「文政八年(1825)教授館総宰となり、日根野弘亨を学頭に任じ、
学制を革めた。人となり温厚で風格高く諸人の尊敬を受けた。」
と山本泰三先生は「土佐の墓」で述べています。
墓所風景
山内豊道の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。