2012年1月26日 土佐の有名な郷土史家の1人である武市佐一郎のお墓を訪ねました。
筆山第1駐車場から第2駐車場への急カーブのすぐ東側です。
沢山の墓石が並ぶ武市家の墓所です。
夫妻の墓が並んでいました。
前列右から2番目が武市佐市郎、3番目が妻須賀、左端が後妻。
これより左には30歳で亡くなった長女、35歳で亡くなった長男と並んでいます。
墓石の右上に号の「建山」が小さく刻まれた、武市佐市郎墓です。
武市佐市郎は数量的統計学に秀で、経済史分析を得意としました。
土佐史談会の指導に当たり、高知県史編纂を行いました。
昭和14年(1939)11月、68歳で亡くなっています。
父延三と母美佐の墓です。
延三は大正3年、美佐は昭和5年に亡くなっています。
数代前に遡ると勤王党で有名な武市瑞山家とも縁戚らしいです。
戊辰戦争で22歳で亡くなった権兵衛盾臣は父の弟です。
五市郎夫妻の墓です。妻の鈴は87歳で亡くなっていますが、
初代知事となった16代藩主豊範の乳母でした。
盾幸夫妻ですが、盾幸は空墳と彫られています。
盾幸は盾臣が戊辰戦争で若くして亡くなったので、跡継ぎとして斎藤家から養子に入りました。
妻の墓石は新しいですが、元の墓石が欠けたので、子孫が新しくしたようです。
妻は延三の娘美江で佐一郎の兄姉ですが、享年17年9ヶ月とあり若くして亡くなったようです。
武市佐一郎の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。