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多賀神社


2007年2月18日(日) 多賀神社に立ち寄りました。


 正面の入り口です。地元の人はお多賀さんと呼んで親しんでいるようです。
 


横に並んであるこちらの入り口は何なのでしょう?

 
新しい狛犬さんですね。台座はずいぶん古そうだけど。
社殿もそうですが、新しくするだけの寄付が集まる、心を寄せる氏子や信者が多いのでしょう。


 手水舎です。水盤には「野村茂久馬」の名が刻んでありました。


社殿です。真新しい鉄筋コンクリートになっていました。
多賀神社由来記 祭神伊邪那岐命 本社が流れを汲む近江国犬上郡多賀大社は
古事記に伊邪那岐大神は淡海の多賀に座すなりと見え延喜の制小社に列せられた。
歴代皇室の多賀大社に対する御尊信は特に深く元正天皇御不予の御平癒を初めとし
て明治初年に至るまで禁廷の勅願所であって武門庶民の崇敬も亦深かった。元弘年間
五辻宮逆徒追討の祈願有り。戦国の世豊臣秀吉の崇敬特に深く大政所は回春報賽の
為一万石の寄進を為し又社殿を造営したといわれる。天正年間藩主山内一豊公近江国
長浜城在城の節多賀大社を崇敬せしにより慶長六年土佐へ入国の後吾川郡長浜村に
於いて本田三石六斗余の神田を寄付し分霊を該地に鎮祭された。明治四年土佐郡中新
町西一町(現在地)に設置されたところの多賀大社の出張所内に遷され現在に至った。」


脇社は赤い鳥居が並んでいましたがお稲荷さんでしょうか。


赤い鳥居の先にあった小祠です。


 たぶん、古い台座の上に座っていた狛犬さんでしょうね。
 お相手は損壊してしまったのか。


絵馬台です。きれいに彩色された絵馬が奉納されています。


すぐ隣の広い更地は旧中央病院の跡地です。
この後、跡地の北側の住民には災難が降りかかりました。

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