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坂崎紫瀾邸跡


2010年2月3日 今日は節分、「鬼は〜外!」です。ちょっこり坂崎さんをたんねてきたぞね。

坂崎紫瀾(1853〜1913) 本名は坂崎斌(さかん) 父は土佐藩の藩医



「汗血千里駒」を書いた坂崎紫瀾は民権運動家でしたが、政府の弾圧により演説会を開けなくなり、
窮余の策として馬鹿林鈍翁という名で芝居をうち、今度は不敬罪で逮捕されました。
その前後にこの小説を書き土陽新聞に連載し、自由民権を民衆にアピールしたのでした。


高知市廿代町のこの場所には80才になる親戚関係の方が今も住んでいて、
私費をはたいてこの石碑群を建てたようです。
高知新聞の2006年6月9日の朝刊にとりあげられていました。


ジャッパニース是れナゼ泣くか
親も無いか子も無いか
親も子もごんす
たつた一ツの我が自由
鷹めに取られて昨日今日
昨日と思へど二千年
三千余万の兄弟と
共に取りたい我が自由
「ウラル」の山に腰掛けて
東を遥かにながむれば
卑屈世界の亜細亜洲
(民権踊り唄)


場所は廿代町の小ホテルの一角。華珍園別館を東進してくると左側にあります。

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