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土佐の歴史散歩高知市中心部筆山・皿が嶺>尾ア幸之進の墓

尾崎幸之進の墓


2010年1月27日 前田秀徳氏に案内していただきました。

天保11年(1840)〜元治元年(1864)25才
(尾崎の崎は立つさき)


筆山から皿ヶ峰(高見山)に向かい、登り口にさしかかります。
写真右手下のコンクリートの道をまっすぐに進み竹藪の中に入ります。


竹藪に入りまっすぐに10m程進むと山側に立つ墓石があります。
台石から外れて立っているようです。贈正五位というのにこのありさまはどうでしょう。
この墓は遺髪墓で、京都霊山墓地にも墓があります。


墓石の左右両側には、彼の経歴が彫られています。


尾崎幸之進直吉は日根野弁治、武市瑞山に剣を習い、別役某、岩崎某に槍を習いました。
文久元年土佐勤王党に加盟、文久2年五十人組に入り江戸へ、文久3年には脱藩し、長州に。
忠勇隊に入り禁門の変に出撃、那須俊平らと槍を振るったが共に戦死しました。


落ち葉をどけて見てみましたが、直吉の「直」までしか見えませんでした。
どうしてこんなことになったんだろう。


銀見役であった幸之進の父です。安政5年歿、56才


幸之進の母です。

ほかにもいくつかの墓があります。


変わった家紋です、尾崎務右衛門夫妻の墓です。享保3年(1718)歿


尾崎庄右衛門夫妻の墓です。文化2年(1805)没


同じ墓所内に吉良姓の墓があります。


尾崎家は吉良家との関係が深かったようです。
幸之進の墓は吉良家に嫁いでいた妹が建てたそうです。

尾崎幸之進の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
尾崎幸之進の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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