×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

土佐の歴史散歩高知市中心部筆山・皿が嶺>織田信安墓

織田信安墓



自然石が立っているのみで、文字は書かれていたのか不明。
山本泰三氏の土佐の墓によると、
慶長十六年(1611)十一月二十七日78歳
伊勢守と称し、父織田敏信の跡を受けて尾張の岩倉城にいたが、
織田信長に攻められ、信安のもとにいた一豊の父は討ち死にし、幼年の
一豊は信安を頼って行ったが岩倉城が落ち、一豊と信安は離散してしまう。
後に一豊を頼って掛川に行き、土佐に入っても優遇された。
高岡郡戸波で200石を与えられ余生を送った。
現地には立て札が立っていて、敏信の墓となっている。

織田信安の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

土佐の歴史散歩高知市中心部筆山・皿が嶺>織田信安墓