土佐の歴史散歩高知市中心部筆山・皿が嶺>桑津一兵衛墓所

桑津一兵衛墓所


2009年12月8日に前田秀徳氏に案内され初めて訪れ、同18日に再訪、追加撮影しました。


山上の筆山公園から東に下りる途中に目立つ看板がありました。

桑津一兵衛は、前名を山本三治といい、最初の日本人司祭となった沢辺琢磨の弟です。
土佐勤王党同志で五十人組に参加、戊辰の役にも従軍しています。

ここは山本家の墓所と言う方が正しいようで、山本覚右衛門(信年と直足の父)、<<つまり坂本龍馬のおじいさん
山本新四郎信年(直足の兄)、山本代七信道(一兵衛の父、龍馬の従兄)など
が眠っています。また、信道の妻は武市瑞山妻の富の叔母だそうです。

 
左:妻の瀧の墓 右:桑津一兵衛の墓
桑津一兵衛は明治39(1906)年4月に70歳で亡くなっています。


山本覚右衛門の墓
信年の父。


山本新四郎信年夫妻の墓
覚右衛門の嗣子。坂本龍馬の父、直足の兄


新四郎の嗣子、山本代七信道の墓
坂本龍馬の従兄

桑津一兵衛の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
山本覚右衛門の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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