2009年12月8日 前田秀徳氏と筆山の一連の墓所を訪れました。
筆山の東北の登り口には5つの案内標柱があります。
そのひとつに楠瀬喜多墓所があります。
石段を上がり、平地になったところで道が二手に分かれます。
右手は頂上を目指す道ですが、左手の道が筆山東面を通り南面に向かいます。
その道が東面を横切っている途中の右手上に墓所がありました。
大正9年10月歿 享年87
夫に先立たれた後、板垣退助の自由民権論に賛同し、
県内外の民権家の世話をし親しく交わり、民権婆さんと
呼ばれました。税金を払っているのだから女性にも選挙
権を認めよと県庁や内務省に要求しました。
剣術師範であった夫の横で寄り添うように眠っています。夫は楠瀬實 明治7年11月没 享年50
楠瀬喜多の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。