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高知八幡宮


2008年7月5日(土) 新堀川辺りを歩いて山田橋に来た時、赤い鳥居が目に入りました。


 由緒書きによると、高知市の中心街の氏神様だそうです。
 特に大高坂の時代からのいわれがあるそうです。
 ここにはまだ入った事がないので入る事にしました。


入ると右手に境内社が並んでいました。
「釣船神社」、俗にきすごさまだそうです。魚のキスゴです。


その左は商売繁盛の「えびす神社」です。


山、海の神様の「大山祗神社」です。


本殿に一番近いところには火、水の神様、「秋葉神社」です。


手水社の中です。


拝殿です。


拝殿の正面です。
飾り付けの最中でした。


社務所です。夏祭りの幟を用意しています。

由  緒  書 高知八幡宮のHPから)
 往古、高知市周辺の頒主であった大高板氏が大高坂城(高知城)の守護神として歴應の頃京都石清水(いわしみず)八幡宮から城内に勧請したと伝えられ、慶長年間山内氏土佐入国と共に城内城下鎮守の神として崇敬されてさました。特に藩主の崇敬篤(あつ)く土佐藩主直祭社となるとともに、城下高知街、北街、下知村の産土神(うぶすな)(氏神)として尾土に遥拝殿を設けて氏子の祭祀を奉仕したのであります。旧藩時代(江戸時代)の当宮の祭礼は高知祭と称し盛大を極めた記録が多く残っております。
(例) 元録十四年御城内八幡宮の祭りは帯屋町廣小路より御屋敷前一面に屋壷を
    やりつゞけさまやりつゞけさまの藝をつくす、是を段地理と名付て廣小路
    より土橋まで引渡すに一番屋憂朝五ツ時分に西の口へ行き昏
    に漸く土橋に来ると云、是の時に至りて錦繍綾羅の類几て買つくして
    不足しければ終に人をして伊豫の国に遣はし購求するに至れり…(高変記)
 明治に至り城下庶民の懇望により、三年尾土の遥拝殿を、四年八月十二日坂吸鋳座の本宮を現社地に奉遷しました。また神社は国家の宗祀として国の管理下に置かれる事となり、明治五年社格を定められるに当り郷社に列し、明治十九年四月十三日県社に昇格しました。当宮は、藩政時代は高知御城内八幡宮又は城内正人幡と称され、武士はもとより広く城下町民に崇敬されておりました。明治以降正式には県社八幡宮と称し、一般には山田町八幡さまと親しまれ高知城下中心地の氏神様として又、文化、産業の守護神、厄除、開運、交通等の守護神として広く崇敬されてきております。
 昭和二十一年国の管理を離れ宗教法人となり神社本庁に所属、昭和四十二年高知八播宮と改弥しました。

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