2012年1月26日
「鈴木商店の大番頭」として有名です。 ウェブ記念館:鈴木商店記念館
「土佐の墓」によると、「日露戦争、第一次大戦を経て三井、三菱と並ぶほどに鈴木を成長させたが、関東大震災で大損失を受け整理に追い込まれた。
しかし直吉の着想による重化学事業部門は独立し、本流とする商業部門はやがて日商岩井商事に発展して、非凡の見識を世に示した。」というこで、現在も活躍している多くの企業が鈴木商店から派生しています。
墓所は筆山ドライブウエイ南端から皿ヶ峰方面に150mほどの東側。高知市街の向こうに介良の山が見える。
墓所には県内のロータリークラブが建てた顕彰碑が建っている。
中央に金子直吉、左側に妻の徳、右側には先祖之墓が並ぶ。
直吉の墓石の側面には昭和十九年二月廿七日歿
金子甚七長男 行年七十九歳と刻まれている。
父母の墓石は小さいけれど傍に置かれていました。
以前は赤い煉瓦の塀が取り囲んでいましたが、低く取り払って整備されたようです。
金子直吉の墓は「土佐の墓」に掲載されています。