土佐の歴史散歩高知市中心部筆山・皿ヶ嶺>松岡寅八の墓

松岡寅八の墓


2012年1月26日(日) 宮尾登美子の小説「陽暉楼」にも描かれた、得月楼を興した松岡寅八のお墓にやってきました。


墓所からは高知市街が一望のもとに見えます。高知城よりも高いようです。


ここは松岡家の墓所です。


広い墓所に前列に小さな墓石が並び、後の高い段には
大きい墓石が並んでいます。


段の上には又段がありそれぞれの大きい墓石が建てられています。


右から松岡家先祖之奥津城、初代松岡寅八墓、二代松岡寅八墓、三代松岡寅八墓、松岡家之奥津城
墓所は広いし、墓も上級武士以外にこんな立派なものはあまりないでしょう。

墓石にはしっかりと業績が彫り込まれています。

君嘉永三年高知城西水道町魚棚ニ生ル遠祖一條家

臣岡和泉守ニ出ツ後裔貞享中高知城下ニ出テ降リ

テ商売トナリ鮎屋ト称し魚商ヲ営ミ藩主御出入ト

ナル父ハ久平其四男ナリ君天賦活達ニシテ奇才ア

リ幼時ヨリ家業ニ従ヒ後又他職ヲ試ム屡蹉跌スルコ

トアリシモ屈セス明治五年玉水新地ニ劇場ノ開始

アリ○心熱○湧クカ如シ君此ニ料理店ヲ剏ム萬客

叔到シ忽チ巨利ヲ獲タリ是ニ於テ将来家業ノ基ヲ

建ツ樓名モト陽暉樓ト称ス後谷将軍ノ命名ニヨリ
更ニ得月樓ト称ス明治廿二年稲荷新地ニ移リ劇場

玉江座跡ニ始メテ一大樓ヲ新築ス此地鏡川ヲ帯ヒ

孕門ヲ望ミ風光明媚ニシテ樓臺ノ美ト相待チテ城

中ノ景観トナル仝四十年更ニ市中ニ中店ヲ開ク益

来世運ノ開展ニ従ヒ本店中店更ニ建築ヲ増シ設備

ヲ整へ面目一新シ従業者常ニ二百人ヲ超へ規模堂

堂トシテ得月樓ノ名関西ニ○○○キ海南第一ノ名

物樓ト称セラルニ至ル昭和三年四月高知公園ニ於

テ創業六十年ノ祝宴ヲ張ル會者一千五百名皆知名
士ナリ同七年五月十七日歿ス享年八十三潮江小

石木山ニ葬ル會葬者三千人君商家ニ成長スト雖モ

素名門ノ系ニシテ資性堅忍詳密百折撓マス一天秤

棒ヨリ起リ遂ニ海内屈指ノ大樓主トナル其ノ成功

實ニ立志傳中ノ人ナリ男熊喜又君名ヲ襲キ二代寅

八ト称シ業務ヲ励ミ家名益揚ルト云フ

昭和七年八月      寺石正路撰

               松村丑太郎書


寺石正路先生は、「実に立志伝中の人なり」と賞賛しています。

自由民権の時勢に乗れたとはいえ、天秤棒を担いでいた一介の魚屋から一大楼閣を築きあげた頑張り屋さんがここにいたのです。

松岡寅八の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

土佐の歴史散歩高知市中心部筆山・皿ヶ嶺>松岡寅八の墓