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観音堂

 文久2年、那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助が吉田東洋の首をとり、南奉公人町を犬に追われながら走り、観音堂で待っていた仲間に首を渡したという。その頃は観音堂はこの場所ではなくて、思案橋近辺にあったらしい。


2001年4月28日 訪れました。


旧町名なら築屋敷の4丁目か。新月橋下の鏡川沿いを歩いているとこの大イチョウのある小社が見えた。


お堂が見え、境内は二段になっていました。いわれを書いた石碑も立っていました。


大同元年に井口の堂の岡に創立した。
山内氏入国後、本丁筋5丁目の思案橋畔に移転し高知市名所の一つとなっていた。
明治初年に廃寺となったが、通町4,5丁目が相談し馬頭観音を合祭し、築屋敷に再建し、大正10年に改築した。


「土佐西国三十三番加納院観音堂」と書かれていました。


その後2012年2月20日に通りかかると看板があり、工事中でした。

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