土佐の歴史散歩高知市中心部>致道館並びに陶冶学校跡

致道館並びに陶冶学校跡


2009年10月30日 朝の散歩の途中です。

 ほとんど毎朝、高知城を東から西へ散歩するのですが、たまには西口門(搦め手門)から城西公園に向かいます。


碑文:参政吉田東洋が16代藩主豊範の命により 文久2年(1862)創設 始め文武館と称したが 
慶応元年(1865)致道館と改称した 幕末非常事態での藩士の教育機関として 文武両道を厳しく
鍛錬すると共に 西洋学術も受容した


ここは、子どもの頃は高知刑務所として使われていて、その頃はこの白い塀が両側に
長く延びていました。現在は門の両側に10mぐらい残されているだけです。


明治3年からは県庁として、明治7年からは小学校教員養成のための陶冶学舎が併設されていました。


昭和51年に高知刑務所は布師田に移転し、高知県立武道館ができ、城西公園もできました。


この門には侍の控え室がついていて、すぐ近くの高知城搦め手門の警護を助ける役目もありました。


頑丈な門と白い土佐漆喰の堅固な塀が当時を忍ばせるねえ。

致道館跡は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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