2013年1月31日(木) 中村の史跡を訪れました。
忠魂墓地ちう古い石柱があります。右側に新しい「山内政豊(良豊)」の墓の案内標柱がある上がり口です。
枯れた雑草に覆われ、桜の木の放置されたひこばえ?などかなり荒れた感じです。
中村二万石領主 山内良豊墓 です。
良豊(政豊、秀豊)は通称吉兵衛。一豊の弟康豊の次男。
兄忠義が二代藩主となり、中村にいた父康豊が後見として高知に
移ったので後を継いで中村山内氏の当主となった。
「土佐の墓」によると、良豊は寛容で慈愛の心深くよく民心を収め
ましたが、32才で没したそうです。
このとき跡継ぎがなかったので藩の決めごとによりお家断絶となり、
改めて兄忠義と久万姫の子忠直が中村に入りました。
周囲には関連の墓石が無造作に置かれていて、街中なのに寂しい。
山内良豊の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。