土佐の歴史散歩四万十市>お菊の滝

お菊の滝


2010年8月20日


口屋内(クチヤナイ)から黒尊渓谷方面へ車で約10Km走ると、このような「お菊の滝」の看板がある。
このあたりまで来ると屋屋内(オクヤナイ)となり、その本村(ホンムラ)らしい。


上の写真の表示から100m程度過ぎたところに交差点があり、右折して間もなくここに至る。
黒尊川に流れ込む小河川に滝があるようで、村の人がよく手入れしている感じだ。


階段の上には碑と像が見える。


「寛文12年(320年前)この地の庄屋室津市郎右衛門尉藤原良治の時
家宝の皿を紛失し侍女お菊は責任を感じ此の滝で自害した。
皿を隠した家臣某はお菊の亡霊に悩んで狂死した。
室津家の先祖は播磨洲の豪族室津朝臣藤原吉家の末裔で、文明2年
前関白一条教房公が戦乱を避け土佐に下向のおり播磨洲香呂郷にある
一条公の御願寺仲須賀院に立ち寄られたおり一条公に従って境に出、
土佐国中村に来たものである。
一条公滅亡後、土佐下山郷奥屋内に移り住み、それから庄屋三代目に
此のお菊事件がおきたのであり、庄屋が播洲の出身であったので
村人達は播洲庄屋と称したものである。
江戸時代、芝居や文楽が盛んになった折、此の事件を創作して
全国的に有名になったのが番町皿屋敷である。尚播洲室津に
古来より伝わる不思議な白藤は現在でも中村一条邸跡にある。」


お菊の像「菊姫の命」


潜り戸を通り裏山に出ると細い石段が上に伸びている。


50mほど上がると滝が見える。ここでお菊が自害したという。


石段途中を滝とは反対方向に進むと祠があり、皿が供えられている。


お菊の像は地域の村人達を見守っているようだ。


このお菊の滝にたどりつく少し手前に「一条氏と長曽我部氏の戦場」がある。
(通常は長宗我部だが、ここの案内板は長曽我部である。)
一度九州に逃げ延びていた一条兼定は、中村一条の再起をかけて
天正3年(1575)、津島軍の援助を受けながら伊予より攻め込む。
しかし、形勢は悪く最後に一条方の津島陣を長宗我部方の芝一覚の陣と
小串城の長宗我部軍が挟み撃ちにし攻め落とした。
中村一条最高の夢破れた最後の戦場であったと語りつがれている。

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