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吉田茂像



第45代、48,49,50,51代内閣総理大臣。5回も任命されたのは日本でこの人一人です。
聡明な頭脳と強いリーダーシップで戦後の混乱期にあった日本を盛り立てました。(Wikipedia)

2009年12月20日(日) 夕方、マイルをEdyに交換するため高知龍馬空港に出かけました。


こんな所にありました。

 吉田茂像の置き場所については、かつて議論されたことがあるようですが、結局はこんな所に目立たずひっそりと立っていました。
 今日は、南国バイパスから高知大学農学部と高知高専の間の道路を通り、普通に空港に着いたのですが、吉田茂像はどこにあるかわからず。
 用件が済んでから友人に電話しても知らないとのこと。空港1Fの売店の店員さんに聞き、やっとありかがわかりました。


気をつけていれば、空港入り口車線からは木の隙間から台座がやっと見える。
今まで何度も空港には行ったのに、立像にはまったく気がつきませんでした。


到着ロビーやバス乗車場所からはまったく遠くて、しかも近づくまで見えません。
空港の出口車線からは近いのですが、案内標識は見あたりません。
バスや乗用車で空港から出て行くときにしか見えませんから、ここに
あることを知らない人にはまったく見えません。吉田茂像は淋しいでしょうね。
せめて手前に標柱か看板と駐車スペースを作って欲しいですね。

>>調べてみました。>>
2008年末の高知新聞の記事です。

吉田茂像移設決議で激論 高知県議会

 十八日の県議会十二月定例会最終日、高知龍馬空港内にある吉田茂元首相の銅像が思わぬ討論の材料に。
 観光振興への一助にと「より親しみやすい場所」へ移設するよう求めて自民党が提出した決議案に、共産党会派が「龍馬や板垣退助とは比較にならない」と抵抗した。
 自民党の提案理由は「(現状は)寂しい限り。『龍馬伝』の放映も近づいている。郷里の偉人の像も観光振興に役立てては」。説明に立った土森正典会長が「思想信条を越えた賛同」を呼び掛けたが、共産党と緑心会の田頭文吾郎会長は日米安保条約締結などを引いて吉田批判を展開。孫の麻生太郎首相の景気対策にも批判を広げて「なぜ今なのか。政治的思惑を含んで疑問を抱く」。採決では県民クラブも反対した。
 銅像は昭和五十九年、当時の中内力知事を会長とする期成会が現位置に建立。ターミナル正面を希望した期成会に対し、「国有地への設置は困難」と拒否した国がその後、「政治的判断」(政策企画部)で県に現位置周辺を払い下げたという。
 決議に拘束力はないが、今度は尾ア県政が政治的判断を迫られる?

 首相時代、利益誘導してもらうべく、たびたび地元高知県から有力者が陳情に訪れたが、その都度「私は日本国の代表であって、高知県の利益代表者ではない」と一蹴した。(Wikipedia)というほどの気概を持って戦後を乗り切り日本という国を守った偉大な功績に対し、この扱いは何だろう。「龍馬や板垣退助とは比較にならない」とはどういう意味だろう。彼らだって批判されていることはたくさんあるのに。

 2012年9月、NHKで土曜日夜に吉田茂のドラマが始まった。今まで酷い仕打ちだったこの像を空港ビル前に移動させ、多くの観光客に見てもらえるようになったらしい。


これは、銅像なのでしょうか?色はいぶし銀のような色ですが。
トレードマークのステッキを持って、堂々とした姿で立っています。


今の世の中をどう思っているのでしょうか。


(台座後面にある銘板より)
吉田 茂 (1878-1967)
飢えと貧困にあえいだ終戦の焼け跡に立って復興の
端緒を開いた吉田宰相は日本人の努力を評価すると
ともに我が国はしばしば大きな幸福に恵まれたと言っ
ておられるまたはげしい国際政治の荒波のなかを巧
みに舵をとってきたのは日本人のすぐれた「勘」のた
まものと見ておられるしかも幸福も「勘」も作り出そうと
して作り出せるものではなくすぐれた歴史の感覚をも
ち勤勉に働く国民に与えられた一種の贈り物のような
ものだと述べておられる比類無き実績をもつ偉人の言
として特に感銘深いこの人を高知県人として永く景仰
する気持ちの結集をここに見る
昭和五十九年三月
木下 茂作
有光次郎文
手島右郷書


また、脇に立つ碑文には当時の県知事中内力氏の文が彫られていました。


夕暮れの高知龍馬空港を見守り、明日の来客を待っている。

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