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田村遺跡群


2010年11月8日(月)  所用があり、通りがかったところこんな公園ができていました。

 田村遺跡群は,これまで数次にわたる高知空港拡張整備事業に伴う大規模な発掘調査等によって数多くの遺構や遺物が出土し,灌漑式の水田稲作を行った土佐の米づくりの発祥地であり,集落の周囲に環濠を巡らした県下最大の弥生集落跡であることなどが確認され,また西日本有数の弥生遺跡として広く知られることになりました。
 今までの調査において,田村遺跡では弥生時代中期末〜後期初頭の竪穴住居跡がすでに約170棟見つかっており,大規模な拠点集落へと発展し最盛期を迎えることが明らかとなっています。
 また、今年5月まではこの少し北に高知南国道路建設が予定されていて、そこを発掘していましたが、やはり同じように竪穴住居跡などが発掘されています。今回の調査成果から竪穴住居跡の数はさらに増え,集落範囲もひろがることが確実となりました。(高知県文化財団埋蔵文化センターのHPから)


南国バイパスから広域農道に入り南進し、空港への道路に左折するとすぐにこの展望台が見える。


駐車場に車を止め、展望台の方向を見ると広場が広がっている。


滑走路の終端部だから飛び立つ飛行機の高度はかなり上がっている。


採石を敷き詰めた中やあちこちに説明板が立っている。


 長方形の建物跡が円形の建物跡と一緒に発掘されたことから、弥生時代の初期の状態だと判断されています。


発掘された水田跡の写真があった。1枚の田は2〜4mの小さな区画です。
これは弥生時代前期と判断されています。


そしてこの部分の集落は弥生時代中期〜後期と判断されています。


水田に残っていた弥生人の足跡


住居なのか倉庫なのか分からないので、最近は竪穴式建物跡というようですが、
生活の跡があったのでしょう、ここでは住居跡となっています。


そして更には中世の発掘物もあったとのこと。
田村城館跡遺跡といって長曽我部氏以前の守護代である細川氏らの遺物である。
この地域が古代から現代まで続いて豊穣な土地であったことがわかる。


たぶん、これがひとつの竪穴の跡を表しているのだろう。


展望台から東方を見ると遠くに管制塔が見えました。

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