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野中神社・石垣碑・経塚


2013年2月13日 柏島のあちこちを訪ねて今日も夕方になりました。


中学校跡地の南側にひっそりと立つ赤い鳥居がありました。


ぼうぼうと枯れ草が繁る向こうに小社が見えました。


島の暮らしを守る石堤を造る事業をした柏島の恩人、野中兼山を祀る野中神社です。
今は2月ですからまだ正月飾りが残っているのは理解できるにしても、参道ぐらいは草を刈っておかないと・・・。


脇にあった石堤碑です。
野中兼山が石堤を構築したことが裏面に刻まれています。


もうひとつ、集落の端に石堤の碑がありました。


現在の堤防は兼山の石堤の上に築かれているのでしょうか?


すぐ近くの稲荷神社の前に大きい木がありました。
この木はこの町全体が燃えた大火の時にも生き残ったので、
兼山はこの木をあちこちに植え防火に役立てるように勧めたといいます。
私はこの木はアコウなのかガジュマルなのか悩んでいます。
ちなみに現在、溶樹はガジュマルで、アコウは赤榕と書くようです。


また、すぐ近くには、経塚がありました。
パンフレットによると、「天保元年(1830)から漁業不振に加え悪疫が
流行したことから、法連寺の日宣和尚が法華経を一石一字に納め
これを埋め、その上に経塚を建てました。その後、猛威をふるった
悪疫も影を潜め景気も次第に回復したと言われています。」


この経塚の碑の表面がなんともおもしろい形ですが、このように
彫ったものか、それとも自然にこのように風化していた岩石を採
取してきて建てたものか、建てた後、風化したのでしょうか?
とても不思議なものです。


冬の日暮れは早いですね。もう夕陽が沈みそうです。宿を探さないと。
残念ながらこの日は、だるま夕陽にはなりませんでした。

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