土佐の歴史散歩大月町>大阪城名古屋城の残り石

大阪城名古屋城の残り石

豊臣から徳川に政権が移った江戸時代のはじめ、1610年から家康の命によって名古屋城の築城が開始された。
この目的は、諸藩に財政を支出させ、抵抗する勢力の力を削ぐことであった。(Wikipedia)
同じように大阪城の築城は1620年からであった。家康は外様の諸藩から労働者や物資を提供させた。
土佐山内氏は外様大名であったため、これに大変苦しめられ財政は窮乏したのである。


2010年8月8日 幡多地方を探訪しました。


国道321サニーロードから大堂海岸に向かうと、分岐から柏島までの
ちょうど中程に頭集という地域があり、その道路端にこれがある。


ここには1個だけの石が残されているが、他の石はどうなったのだろう。
おそらく道路建設などで埋められてしまったのだろう。


このあたりは花崗岩の岩盤が露出している。


近くの山肌にも露出した岩盤が見えていた。

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