土佐の歴史散歩大月町>中島平太郎墓

中島平太郎墓


2013年2月13日(水)


右に大堂海岸の端、左に柏島が見え、旧橋と新橋が架かっているのが見えます。


ここの山上に中島平太郎の墓所がありました。


各家の墓所が広がる中の最上段に、2つの白い灯籠の間に白い大きい墓石が見えます。


中島平太郎と刻まれている巨大な墓石のある墓所に到着です。


中島平太郎 大正十四年(1925)二月十六日 56才で没す。
「土佐の墓」によると、「中島平太郎は長野県の発電事業電業社に入社後、同社に委託されて水力発電を完成した。
のち東京に出て中島電業社を創設して、電気土木事業の請負や電気器具の製作に従事し、電気事業界に雄飛した。
郷里の学校充実に尽力し、また、高知市の野中兼山墓地の荒廃をなげき、墓域を修復拡張・参道を造るなど兼山の顕彰に尽くした。」


眼前に柏島左には沖の島その間には瀬戸内海に続く豊後水道が見えます。


側には、おそらく平太郎が建てたであろう、大工職であった父の市平と母ユキ夫婦の立派な墓がありました。


郷里の柏島は、野中兼山による突堤の建造、白砂の敷設などの事業により好漁場を得て現在に至っています。
兼山の恩を一部でも返したいとのあふれる思いが強く感じられました。

中島平太郎hの墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

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