2013年2月13日(水) 柏島を訪れました。
地元の人が赤灯台と呼ぶ集落の先端近くの対岸からの遠望です。画面左上に見える大屋根が護念寺です。
柏島山御念寺です。西本願寺の末寺でしたが明治の廃仏毀釈により廃寺となりました。
その後、禅昌寺と合併して明治20年に再興されたのだそうです。本尊は阿弥陀如来。
護念寺の十三代住職秀善の四男が慶禅でした。
禅昌寺は、純信とお馬の逃避行の後、故郷に戻った慶禅が住職になったお寺です。
「僧慶禅の墓」です。
明治十四年(1882)二月一日 51才で没
墓の上には解説がありました。はたして、かんざしを買ったのは純信か、弟子の慶禅か?
僧 慶 禅 土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た。 よさこい節の主人公、純信とお馬の悲恋物語は、歌や小説になり古くから全国を風靡し」、土佐を代表する 一大ロマンとして語り伝えられている。その舞台裏に一人の若き僧の悲恋の物語がある。 慶禅は、修業の後、五台山妙高寺の純信に弟子入りをする。慶禅とお馬の恋は次第に深くなって行くが、 一方、お馬と純信の仲は激しく燃え二人は土佐を脱出するが、琴平の高知屋で召し捕られ、三日間高知で 晒され、純信は土佐を追放となり川之江へ、お馬は仁淀川から西に追放となり須崎に来る。純信は後に美 川村で「岡本」となり東光寺に眠る。六十九歳(明治二十一年亡)。お馬は結婚し、東京に行き(明治三十七 年)六十六歳で亡する。 慶禅は、弟栄教に連れられ柏島に帰り、禅昌寺の住職となり、結婚し余生を送り、明治十四年二月一日亡 する。五十一歳であった。(花かんざしを買ったのは慶禅であったと言い伝えられている。) 大月町教育委員会 |
慶禅の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。