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山中陣馬墓



昭和52年に大川村が建てた山中陣馬の記念碑です。

維新後間もない明治4年、土佐の山間部で起きた徴兵令、血税に反対する一揆が
「土佐膏(あぶら)取り一揆」と呼ばれています。これについては残されている史料が
少なく、農民の無知や修験者等の陰謀など諸説あり本当のところはよく分かりません。


大正15年に建てられた中山陣馬のお墓らしい。

 大川村は、「山中陣馬は、この首謀者が友人なるが故に中止を説得するも、聞き入れないので、
自ら一揆に加わり、大衆を善導改化せんとするも成らず、自分を犠牲として徒党の罪科を未然に
防いだのである」、という立場でお墓を建てたようです。