土佐の歴史散歩大川村>白滝鉱山跡

白滝鉱山跡



大川村の朝谷地区に白滝鉱山跡の総合開発事業による施設があります。
白滝鉱山は1699(元禄12)年に土佐藩により開かれたのを創始とし様々な変遷ありながら、、
最後は大正時代に日本鉱業株式会社の手に渡り、1972(昭和42)年に閉山となりました。
その間、鉱毒や煙害問題を乗り越え、大正時代には自家用発電設備を構え、
或いは伊予三島までの索道を建設したりしました。


白滝小学校跡を利用した宿泊施設と管理棟です。
当時、この地域には417戸、1,960人が住み、映画館や共同浴場、
小中学校、幼稚園もありました。
しかし、鉱山経営が悪化し、閉山決定と前後し地域が大火に襲われ、
住民が激減しました。


白滝鉱山の選鉱場跡が残っています。
ここで鉱山から掘り出した鉱石が選り分けられ、良い鉱石は
索道で送り出され、屑石はボタ山になっていきました。
1919(昭和47)年閉山後、大川村は鉱山の所有者や県から土地を全部買い取り、
1985(昭和60)年に白滝総合開発にとりかかりました。


ボタ山は整地され、現在は村民運動場となり、スポーツ競技や
各種イベントなどに利用されています。


さらにトマトの水気耕栽培を始めました。


自家水力発電が利用されていました。


大川牛(黒毛和牛)の肥育施設もできました。


各個人で飼っている家と合わせ、生産力が増えました。
さらに2008(平成20)年からは高知県と連携して土佐はちきん地鶏を
生産しています。

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