土佐の歴史散歩越知町>杉原神社、天皇御陵、横倉宮など

杉原神社、天皇御陵、横倉宮など


2007年1月18日と2月19日の2回訪れました。


 息を切らして五百余段の石段を登り詰めると道は平坦になり、やがて緩やかな
下り坂になり、杉の大木の向こうに社が見えてくる。
 ほっとする一瞬です。


杉原神社です。
説明板がありました。
「平家の守護神熊野権現その他を祀り、杉の巨木の多いところから
社名となった。社殿はしばしば改築され、現在のものは明治三十年
ごろの改築で、本殿周囲のえと(干支)並びに脇障子の彫刻は明治
年間に全国的に著名な長州の工匠門井宗吉の作といわれ、極めて
精巧である。 
おのずからたりにし杉も神さびていく世へめらん横倉の宮 稲毛 実」

 
狛犬さんです。


拝殿の後ろの本殿はこんな山の中には似つかわしくないほど
さまざまな彫刻が施されています。これに極彩色を付ければ、
東照宮も驚くぐらいになるでしょう。


床に近い壁面に並べられているうちの1枚です。


 軒の裏側にも細かい細工が施されているすばらしい建築です。
 今の社殿は明治になって長州から高い技術を持った大工が来て
建てたといわれています。


社殿の右側の小高い部分に小さい社がありました。
手前には78名の名前を書き連ねた大きい看板がありました。
山奥を困難な放浪の果てにここまでたどりついた平家83名のうち
氏名の判明した78名の名を合祀すると書かれていました。


ここは、かつてこの横倉山一帯に散らばっていた
平家一門の墓をまとめて祀る「平家之宮」でした。


杉原神社を後にして西方に少し進むと山小屋がありました。
ここから右に進むと名水といわれる「安徳水」があります。
この付近には25軒の住居があったとされています。


「安徳水」への入り口です。
昭和60年に環境庁によって全国名水百選に選ばれています。


「安徳水」です。左奥の岩の下から泉が湧いています。
入り口手前に説明板がありました。
「安徳水は、文治元年(1185)屋島の合戦で敗れた平家一門が
安徳帝を擁しこの地に落ち延びられ、平知盛外八十余名が
天の高市(武家屋敷跡)に二十五軒の住を構え都とした折りに
この泉水を供御水とされたとされている。
また、これより200年前、横倉山が日本国霊峰四十八ヶ山の
一つとして有名になった頃、修験者の清め水として使用された
とも伝えられている。」


杉原神社から天皇御陵への途中には「安徳天皇行在所跡」
もありました。こんなところに?と思いますが、木を切り払って
しまった地形を想像すると、左の窪地が建物ができそうです。

 
また、阿波国山城谷に天皇一行を匿い、源氏の追っ手がかかると
その城を捨てここまで案内してきた田口成良を祀る「田口社」です。
田口城を出発したときは300名を越える人数でしたが、過酷な旅が続き、
ここにたどり着いたのはわずか83名だったということです。

各所を結ぶ小道ですが、今日は人影がなく寂しいです。


安徳天皇御陵墓参考地が広い石段の上に見えてきました。
説明板がありました。
「文治元年(1187)壇ノ浦の決戦に敗亡した平家の残党がひそかに
幼帝安徳皇(八十一代)を擁して文治三年当山に潜幸され、従臣らと
蹴鞠の遊びをされた処と伝えられ、(よって鞠ヶ奈路陵墓ともいう)
正治二年(1200)に宝算二十三歳で崩じ給いこの地に奉葬される。
 様式は歴代皇陵墓と同一型で、県下唯一の宮内庁所管地として
陵墓守を配置している。明治十六年御陵伝説地に指定、昭和元年
参考地に指定。」


門です。過去に石棺が発掘されていますが、現在見
たところこの囲いの中には何もありそうにないです。


但し、「馬鹿試し」の断崖の下にある穴に
は三種の神器のひとつの剣があったそうです。


「岩屋神社」です。「平家穴」までの中間にあります。


「平家穴」の真上には、今や欠けて落ちてきそうな岩が突き出しています。


縦に長い穴が「平家穴」です。
大切な剣を万一の時のため住居近くには置かず、
断崖絶壁の下の穴に隠しておいたと伝えられています。


入り口をふさいだような岩の上から覗くと、10m程度の深さがあるようです。


 「平家穴」の断崖の真上に横倉宮があります。
 横倉宮の祭神は安徳天皇です。天皇は再起の日を祈られたが病魔に襲われ正治二年(1200)
八月八日、御年23歳をもって遂に悲運な御生涯を閉じられた。横倉山鞠ヶ奈路に天皇を
奉葬、同年九月八日に知盛は御神号を奉じ玉室大明神と崇め山上に祭祀された。
 その後、横倉大権現と称された時代もあったが、明治元年(1868)四月、御嶽神社と改称、
更に昭和二十四年(1919)十二月、神社本庁により横倉宮と改称された。(横倉宮の由緒より)


横倉宮社殿の脇を通って裏に出ると「馬鹿試し」と呼ばれる
断崖絶壁の上に出ます。とても恐ろしい危険な場所です。


戻る途中に出会った平家の一人です。


振り返ると横倉宮の鳥居です。
ここを右に進んで先に御陵墓に行ったのでした。
昔はこの前にアップした楠神から石段が続いていて表参道
となっていて、そこまで省営バスが来ていたそうです。
こじゃんと参拝客が多かったがやねえ。


一番上の第三駐車場に出てみました。
織田公園を作った織田盛雄氏の奉納した鳥居の手前には
「越知平家会」の現会長さんが建てた石碑がありました。
今日は織田公園で弁当を食べ、半日横倉山で遊んだなあ。
それにしても、800年の間言い伝えを守り、よくご先祖を祀り、
顕彰しているなあと感動しました。

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