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椿山の氏仏堂、滝本軸之進霊社


2012年3月1日(木) 越知町横倉山と同じく平家落人が暮らしたという伝説の集落、椿山に行ってきました。

 横倉山には宮内庁が認めている安徳天皇陵墓参考地があります。
 土佐文雄「安徳天皇横倉山御潜幸物語」によると、屋島壇ノ浦から阿波の
豪族田口成良に導かれ、東祖谷山−韮生村西熊山−御在所山−森−
平家平−大森川−椿山−別枝−横倉山という道筋を進んだようです。


池川から494号線を久万高原方面に進みます。
百川内で椿山へ分かれます。


西桁谷橋では素晴らしい滝を見ました。


やがて勾配がきつくなり、石垣を積んだ人家か棚田のあとが現れます。
このあたりでは三つ叉の栽培が盛んだったのでその畑のあとかもしれません。


あたりはこんな急峻な山々です。こんな山深いところにぽっかりと集落がありました。


公民館がありました。椿山交流センターと書かれています。


数十軒の集落です。その中に背の高い樹木があり、その下にお堂のような屋根が見えます。
冠者ヶ谷、弓場、上屋敷、下屋敷などの地名が残っています。


杉の大木のもとにあったお堂です。(寄付者名簿には百花堂とあり)


氏仏堂と書かれています。


菊の花の彫られた正面の蛙股です。


格子の間からは祀られている2体のお地蔵様が見えました。


氏仏堂の前に小さな祠がありました。


傍らには滝本軸之進霊社の標柱がありました。
椿山に落ち着き生活していると、川下でお椀を拾ったという人が訪ねて来て、美しいお椀なので
逃れてきた都人が暮らしているのではないかと聞く。
旅の僧だというが、きっと源氏の間者であろう。帰らせては危険だ。
軸之進は覚悟を決めた。刀を合わせるとやはり相当の腕前で、武術に自信のある軸之進もやっと
のことで仕留めたのです。
間者が来たということは、椿山にいては危ないので皆を横倉山に向かわせ、自分は従者とともに
ここに残り、氏仏堂を建て僧の霊を弔ったのでした。


屋根葺替修復の寄付者名簿がありました。
滝本、山中、平野など平家から派生した苗字が並んでいます。


松山や高知に移り住み、次第に住人が減り寂しい集落です。

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