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(伝)武田勝頼公墓所


2012年3月1日(木) 旧吾川村大崎を訪れ、不思議なものを見て来ました。
 定説では、勝頼は信玄の庶子として生まれ、高遠城主となり、信玄亡き後を嗣ぎ、領国の拡大に努めました。
 長篠の戦いで織田・徳川軍に敗れ、上杉氏、佐竹氏と同盟を組みましたが、織田信長の武田征伐により天正10年(1582)に嫡男信勝とともに天目山で自害しました。享年37。
 ところが・・・・


小学校門前にある武田勝頼公墓所です。


きちんと解説板があります。
「甲斐武田家、第二十代当主である武田勝頼(変名大崎玄蕃)と
三枝夫人(変名美津岐夫人)夫婦の埋葬された墓の前に建立される
鳴玉神社です。勝頼は慶長14年(1609)8月25日に64歳で亡くなります。
三枝夫人は元和2年(1616)10月19日に亡くなって共に祀られています。(後略)」
設置者は「武田勝頼土佐の会」となっていました。


これが鳴玉神社です。


神社の後には2体の地蔵が並ぶ墓所です。


武田勝頼・三枝夫人とされています。

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