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本山城跡と十二所神社



坂下から参道を登ってきて十二所神社の境内入口近くです。ここから右方へ進みました。


稲の実る南の山に上がり市街を見越して、遠方には白髪山が見えました。


地図にあるように十二所神社のすぐ下から右へ井筋に沿って進み、途中から上に上がりました。
方向指示板があり、右に進むと本山城跡、左に進むと展望台となっています。


井筋から上には墓地が少しあり、墓参道はモルタル舗装されていますが、それを過ぎるとこのような道です。
蛇が逃げていきました。もう少し涼しくなってからの方が良さそうです。そしてイノシシに注意の看板もありました。


やっと城の石垣らしい場所に出ました。


二の丸かなと思われる広場に出ました。向こうに何か書かれた看板が立っていました。


斜めの夕陽がレンズに入ってしまいました。看板がよく見える位置に来ました。
その左に今まで気がつかなかった階段と、その向こうに自然石の碑が見えました。


「本山城跡碑」です。大正時代の高知県知事杉山四五郎書となっていました。


そして裏側には、大正元年十一月建之 奥宮刻となっていました。


東の方を望むと剣山系と思われる山々が遠くに見えました。画面右方の三角が梶ヶ森です。
戦国時代に土佐一番の豪族だった本山氏の朝倉城を築く前の本城だったと思うと、なにか寂しい感じがしました。
でもここに住んだわけではなく、やはり山の下の土居に住んでいて、ここは見張り所だったのでしょうね。


二の丸?の下には三の丸らしき段がありました。


木々の間を通して本山の街が見える場所に、四等三角点がありました。


十二所神社まで戻りました。十二所神社の手前には稲荷神社がありました。
本山は江戸時代吾橋(あがはし)と呼ばれ、参勤交代の宿泊の場所でもあり、また山内刑部に続き
野中兼山が治めていた土地なので、商売繁盛の神様である稲荷権現が勧請されていたのでしょう。


十二所神社の境内です。


きれいに手入れされていて、引き締まった清涼感を感じました。


本殿の手の込んだ細工はかなりの宮大工の作でしょう。


坂下に下る途中の小さな田ですが、竹で組まれたはでに稲が掛けられ干されていました。
昔ながらの方法ですが、これがおいしいのです。


さらに下の段にはまた井筋がありました。野中兼山の作った農業用水、生活用水のための井筋です。

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