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賀茂神社


2013年1月31日(木) 延喜式内社 南海道土佐二十一坐の一つです。


入野松原の中に上林暁館が左手にあり、平行して賀茂神社の参道があります。


参道を200mほど歩くと社殿前の狛犬と鳥居があります。
賀茂神社は927年の「延喜式神名帳」に掲載されている古くからある神社です。


鳥居の扁額には加茂神社と八幡宮の両方が書かれています。


拝殿の様子です。普段は閉まっているのですが、今日は何か祭事があったのでしょう。


社殿の右手には安政津浪の碑があります。文字はほとんど見えません。


書き写したものが傍にありました。

安政津波の碑


 安政元年(1854)11月5日午後4時過ぎ、突如激震が起こりついで大津波が

押し寄せ、大被害を受けた。当時の惨状を物語るものがこの碑である。


嘉永七、申寅の歳11月4日昼微々の震動有湖海濱に流れ溢る土俗是を名て鈴波と云う

是則海嘯の兆也其翌5日朝土俗海嘯に至に満眼の海色洋々として浪静也欣然として家に

帰り平素の業を事とす時に申剋に至て忽大震動瓦屋茅屋共崩家と成満眼に全家なし気埃

濛々として暗西東人倶に後先を争ふて山頂に登山上より西川を見るに西牡蠣瀬川東吹上

川を漲り潮正溢る是即海嘯也最初潮頭緩々として進第二第三相追至第四潮勢最猛大にし

て実に胆を冷す家の漂流する事数を覚ず通計に海潮七度進退す初夜に至て潮全く退く園

は砂漠と成り田畛更に海と成る当時震動する事劇しく曽聞宝永4丁亥歳10月4日も同然今

に至りて148年今此石此邑浦の衆人労を施して是を牡蠣瀬川の辺より採て此記を乞来是

を後人に告んが為ならん鈴浪果して海嘯の兆なり向来百有余年の後此言を知るべき也


     野並晴識

 安政4年丁巳6月朔               入野村浦  若連中
註 碑文の冒頭に嘉永七甲寅とあるが、この年10月27日に安政と改元されている。


すぐ近くには南海大地震の碑もありました。


境内社が並んで2つありました。


とちらかが八幡宮なのでしょうか。


史跡賀茂神社の標柱が大方町教育委員会により平成十六年十月に建てられています。


本殿の海側には新しい鞘殿が設置されています。


反対側は軒までの囲いはありません。本殿は再建されてまだ新しいですね。
先ほどの標柱が平成16年だったので、それくらいでしょうか。


社殿と境内社、津浪の碑が見えます。


近くには入野松原の碑や、幾つかの歌碑や、


上林暁生誕の地の碑があります。


参道を帰ります。

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