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野々宮神社


2010年3月14日 野中兼山の開発した野市町の三又を探しに来ていました。


野中兼山は野市(のいち)の開発事業を行い、用水を張り巡らせ大きな実りを得ました。
その用水の源近くに三又がありました。用水をたどって川下に歩きました。
用水の両側にトンネルのようになった樹林により水面は暗いです。


物部川からの豊かな水は次々と小さな流れに分けられていきます。


水路に沿って歩いていると、新道を越えたところに由緒のありそうな神社がありました。


神社の由緒は、二代藩主忠義公の時代に荒れ野を開墾しできた野市村の歴史と同じです。
里人が細々と祭りをしていましたが、野市の郷士原源五衛門が再興して社を建て崇敬しました。
祭神は野槌神といい野山の神で、料理の神でもあるといいます。
ここには森があり、その昔、源頼朝の弟希義が平家方蓮池氏の攻撃を受け、援護するために
駆けつけた夜須七郎がこの森まで来たが、希義の討死を聞いて引き返した記録があるといいます。


「野宮再興記」として元禄十四年に書かれたものを石碑に彫ってありました。
これをもとに上の看板が作られたようです。


もうひとつ石碑があり、こちらは新しいものです。
この神社の社地が不当に占有され、裁判で取り返そうとしたが、
時効ということで取り返せなかったのでご先祖に申し訳ないというもの。
長年神域を侵し続け通した者が丸儲けをしたという話である。


神社の前には立派な灯明台も建っていました。野市を開墾した人々の苦労を想像した半日でした。

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